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   <title>マレー缶</title>
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   <updated>2012-05-08T20:35:06Z</updated>
   <subtitle>マレーシアについてちょこちょこと。いつか行きたい。</subtitle>
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   <title>スポーツの発達　3</title>
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   <published>2012-05-08T05:03:16Z</published>
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   <summary>工業化世界が懐胎から出産・・・ そして成長へと向かう間、民俗慣行におけるゲームも...</summary>
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      工業化世界が懐胎から出産・・・


そして成長へと向かう間、民俗慣行におけるゲームもまた、いくつもの時代を経て近代スポーツへと変身していきます。


イギリスでは、民衆的ゲームはまず、それを自分たち固有の目的に合致させようとした支配階級に取り込まれ、やがてさまざまなクラブが出現します。


次の時代には、官僚的な組織が生まれます。


さらにスポーツ実践はイギリスから他の国々へと普及し、最後に国際的な組織が設立されるまでになります。


社会的、経済的、文化的な側面をもついろいろな要因がこうした展開の誘因となり、あるいはそれを助長しました。


たとえば交通手段の発達は、スポーツが普及する上で重要な要素となりましたが、のちにはラジオやテレビによるテレコミュニケーションも、その役目を引き受けるようになります。


・・・一方、19世紀末におけるイギリスの人口増加は、同国のスポーツ・モデルがなぜヨーロッパ各地に広まったかを説明する、もう一つの要因となっています。



      
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   <title>スポーツの発達　2</title>
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   <published>2012-04-11T05:02:39Z</published>
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   <summary>当初は、寛大さを初めとする貴族的なエリートたちの価値観を・・・ 次いで責任感とい...</summary>
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      当初は、寛大さを初めとする貴族的なエリートたちの価値観を・・・


次いで責任感といった一部富裕市民たちの価値観を促進するという使命を帯びていたスポーツは、ここにおいてその性格を変えることになります。


・・・つまり、一般大衆の健全化という性格をもつようになったのです。


すでにある程度の種目に興じるようになっていた中産階級は、責任あるポストを与えられていました。


同様に、労働者階級も、それまで特定の人々だけのものだったスポーツを行なうようになります。


しかし、明らかにこれは、雇用者の戦略の枠内でのことにすぎなかったのです。


《雇用者輔経営者たちは労働者の征服に取り組んですが、スポーツはそんな彼らの一つの手段となった》。


・・・目を国際的な次元に転じてみれば、構造的なスポーツ活動を管掌する諸機関は、やがてさまざまな種目の規約化と競技の組織化とを行なうようになります。


      
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   <title>スポーツの発達</title>
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   <published>2012-03-10T06:01:48Z</published>
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   <summary>各地のリセ・・・ とりわけ1882年に在校生たちが「フランス徒競走クラブ」を設立...</summary>
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      各地のリセ・・・


とりわけ1882年に在校生たちが「フランス徒競走クラブ」を設立した、パリの名門リセ・コンドルセから支持された活動は、さまざまな青少年層へと広がっていきます。


さらに1902年からは、それはまた軍隊の中に、2年間の兵役をつとめる若者たちの間に少なくとも定着するようになります。


そして最終的には、第一次世界大戦時にフランスのスポーツは盤石の基盤を築くまでになっています。


戦争が勝利に終わった後も、スポーツ活動は発展を続けます。


これに伴って、USFSAも細分割していきました。


この動きは、1919年の「フランス・フットボール協会連盟」の設立とともに始まり、翌年の「ラグビー連盟」、さらに「陸上競技連盟」へと続きます。



      
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   <title>水で冷やすとなぜ卵の殻がむきやすい？</title>
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   <published>2012-02-10T09:05:19Z</published>
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   <summary>卵をゆでたら、すぐ水の中につけて冷やすのは、殻がむけやすいようにするためですが・...</summary>
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      卵をゆでたら、すぐ水の中につけて冷やすのは、殻がむけやすいようにするためですが・・・


では、なぜむけやすくなるのでしょう。


卵の殻の内側には2枚の薄皮（卵殻膜）があり、その一部が卵の丸いほうの端で離れて、空気室を作っています。


卵をゆでると、空気室の空気は膨張して殻の気孔から外へ出ていき、同時に内部の水分も蒸発するので、薄皮も乾いて固くなります。


これをすぐ水につけて冷やせば、薄皮が乾いたままの状態なので、殻がむけやすいわけです。


ところがゆっくり冷やすと、空気室の圧力が下がって水分が中へ入ってくるため、薄皮が糊のようになって白身につき、むきにくくなってしまうのです。


      
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   <title>生卵とゆで卵を見分ける方法は？</title>
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   <published>2012-01-22T09:04:51Z</published>
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   <summary>生卵とゆで卵は見ただけでは見分けがつきません。 ・・・また、持ってみても、重さも...</summary>
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      生卵とゆで卵は見ただけでは見分けがつきません。


・・・また、持ってみても、重さも感触も同じですから、簡単に見分けることはできません。


割ってみれば簡単ですが、ここではもっと知能的な見分け方を紹介しましょう。


テーブルなどの上に卵を置いて、ひねってみます。


すると、ある卵は勢いよくぐるぐると回り、ある卵はのろのろと回って、すぐ止まってしまいます。


この、よく回るのがゆで卵です。


生卵の場合、黄身や白身が内部摩擦を起こしてブレーキの役目をするため、すぐ回転が止まってしまうのです。


ゆで卵は、黄身も白身も固まっているので木のボールのようなもので、回せばくるくるとよく回ります。


女性でも案外知らない人が多いものです。


      
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   <title>ナマズがあばれると地震が起こる？</title>
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   <published>2011-12-11T09:04:28Z</published>
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   <summary>江戸時代は、ナマズと地震には深い関係があると信じられていて、両者を結びつけた諺が...</summary>
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      江戸時代は、ナマズと地震には深い関係があると信じられていて、両者を結びつけた諺が数多く残されています。


昔の人は、地下に大ナマズがひそんでいて、それがあばれるのが地震だと半ば信じていたふしがあります。


ナマズがあばれないように押さえつけたと伝えられる、大きな石を現在も祭っている神社があります。


現在では、ナマズが地震の原因だと信じる人はいませんが・・・


科学的にも、ナマズが地震に敏感なことは確かなようで、地震前の地電流や水位で跳ね騒ぐのだそうです。


ナマズの地震予知能力をさぐろうと、熱心な研究を続けている学者は一人やニ人ではありません。


      
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   <title>なぜ地震は上下動だと危険？</title>
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   <published>2011-11-12T09:04:05Z</published>
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      同じ地震でも、家が左右にゆれる時と、上下にゆれる時があります。


これは、震源地に近いと上下動になり、遠くなるほど左右にゆれるようになるためです。


地震の震源は、普通、地下50キロくらいのことが多く、かりに震源地の真上に家があったとしたら、上下にゆれるばかりで左右にはゆれません。


地震のゆれは、水の波紋のように周囲に広がりますので、震源地から離れれば離れるほど波の力が弱まり、上下にはゆれずに左右にゆれるようになります。


ですから、気をつけていれば、震源地が近いかどうか、ある程度の見当はつきます。


だから、激しい上下動なら、すぐ家から飛び出さないと危険です。


      
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   <title>自分たちでマニュアル化　3</title>
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   <published>2011-10-10T02:00:29Z</published>
   <updated>2011-10-25T20:35:28Z</updated>
   
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      仕事でミスが起きると、どういうことになるでしょうか。


「常識」では、その当事者かその上長という人間が責められます。


これに対して「反常識」では、事がら、進めかたやシステム、あるいは対象側を攻めることになります。


ある大新聞社に籍をおく友人を誘って、ある精機工機工場に行ったときの話です。


この工場には「宝掘り作戦」という活動があります。


作業ミスが発生すると、その当の本人が、そのために用意されている模造紙に、ミスという事がらが発生した状況を詳細に描いて展示するのです。


ミスを生んだ状況の研究こそ成功への鍵だ、せっかくのその宝を、自分のところだけで独占していたのではもったいない、みんなの&quot;共有財産&quot;にしようというわけです。


新聞社の印刷現場でもミスは発生します。


      
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   <title>心理検査</title>
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   <published>2011-09-23T01:57:31Z</published>
   <updated>2011-09-23T20:35:06Z</updated>
   
   <summary> 大学院の心理学専攻生五名が自発的に応募し、自分自身についての逸話的情報を与え、...</summary>
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      <![CDATA[
大学院の心理学専攻生五名が自発的に応募し、自分自身についての逸話的情報を与え、自伝的作文を書きあげ、心理検査に参加した。


各院生ごとに、二つの誕生チャートが計算されました。


一方は真の誕告に基づいたもので、他は真の日付に三か月を加えるか、三か月を引いた偽の誕生日に基づいたものでした。


したがって十二宮における各対の太陽の位置は同唄でない。


会議に参加していた28名の占星家が集められて事例史に基づいて真の誕生日を推測した。


それぞれ五つの推測をしたので、全体で140の推測がなされたことになります。


したがって、偶然に約70が正しい答を得ることになるでしょう。


実際には、95の正答があって、きわめて有意な結果でした。


68%に達する判断の正確さは、クラークの第二研究で得られた結果とドビンズのそれとの中間になるが、クラークの方に近かった。


統制条件として、精神衛生の仕事をしている人18名が同じ作業を課せられたが、天宮図は与えられなかった。


このことはあとでわかるように、不幸な省略でした。


このグループによる正しい推測数は52%で、偶然によって期待されたものそのものでした。


ヴィドマーの結論は、「占星家の能力は個人の誕生時における惑星の布置とその後の行動との聞にある種の関係があることをほのめかすことである」ということでした。


＞＞話題の<a href="http://www.e-aine.com" target="_blank">占いはこちら</a>

]]>
      
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   <title>自分たちでマニュアル化　2</title>
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   <published>2011-09-05T02:00:04Z</published>
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      マニュアル化するためには、必然的に、作業の状態を研究しなければなりません。


ここが重要な意味を持つのです。


このプロセスで、マニュアルを必要とし、それを守って、たえずその通りやらねばならない状況や意味合いを、ずっしりと自分たちのものにしてしまうからです。


アイシン精機工機工場では、同様にして、マニュアルどころか、システム化まで進めていきました。


経営の中枢の人たちは、そんなことをしたら不十分なマニュアルが出来てしまわないかと、不安に思うに違いありません。


さらに、実行者にそんな力はないと思うかもしれません。


しかしそれは、とんでもない思い違いです。


スタッフが作った精緻なマニュアルによる作業において絶えなかった災害事故や品質不良が、現場の当事者が自分たちで作った単純素朴なマニュアルに変わってから激減した、という例は少なくないのです。


それでも心配なら、あなたがたが脇役となって、マニュアル化を手伝えばよいではないでしょうか。



      
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   <title>自分たちでマニュアル化</title>
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   <published>2011-08-03T01:59:28Z</published>
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      知らないところで作られて、ただこう動けと決められたものに対して、それを自分たちの道具と思えるでしょうか。


使う人の魂が、たとえいくばくかでもそこに注がれたときに、その道具が、その通り動けるために生きてくるのです。


マニュアルが生きるか死ぬかの鍵は、仕事をマニュアル化していく、そのプロセスにあります。


校則に違反した髪形の生徒の写真を卒業アルバムから外すなど、校則をめぐるトラブルの続出に対応して、文部省は校則づくりへの生徒の参加を推進するようですが、大いに評価したいのです。


規則やマニュアルをその実行者たちが作ったらどうなるでしょうか。


一変して、実行者にとって「守りたいもの」になっていきます。


なぜでしょうか。


自分たちで自主的に作ったからである、というのが教育関係者の発想です。


しかし私は、校則程度のものならそれでよいかもしれませんが、仕事のマニュアルの場合は、真に「守りたい」ものになるためには、この程度では不十分であると思います。


      
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   <title>マニュアルは大事な道具</title>
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   <published>2011-07-20T01:58:29Z</published>
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      作業者を責めているのでもなければ、マニュアルの内容を問うているのでもありません。


マニュアルの策定プロセスを問題にしているのです。


なるほど、マニュアルやシステム、あるいはプランとしては完結していたのでしょうが・・・


最も素朴なこと、つまり、それを実行するのは、ロボットではなく、人間であるということを忘れてはいないか、と私は言いたいのです。


スタッフ側からみれば、ありえない、考えられないことが現に起きているではないでしょうか。


人為的ミスで起こった大きな事故の関係者は、マニュアルの不徹底、チェックの甘さ、管理の不十分さをうたい、管理強化の追い打ちをかけるかにみえます。


その発想こそが、このような事態を生み出していくのです。


管理→人間不在→さらに管理強化→さらに人間不在、という悪循環に導いていくのです。


多くの職場で、この種の小さなことは日常茶飯事です。


仕事集団活動にとって、マニュアルは大事な道具です。


だからこそ、それが生きたもの、その通り動けるものであらねばなりません。


      
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   <title>福祉資源地域における福祉　2</title>
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   <published>2011-06-15T06:47:31Z</published>
   <updated>2011-06-30T20:35:19Z</updated>
   
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      役所が用意しうるものを行政資源とよぶことができますが、福祉資源を考える場合、この行政資源のみに頼るのは必ずしも地域で福祉社会を建設するのに十分ではないでしょう。


広く民間(住民)のなかに存する資源をいかに引き出すかを工夫しなければならないでしょう。


・・・というのも、いままでの社会福祉は、ごく少数の恵まれない、かぎられた人びとへのサービスという意味で「他人事」でした。


しかし、これからの福祉は、いつでもだれでもが必要な支援サービスを受けられるという意味で「自分事」であり、そのような「自分事」としての福祉を考えれば、地域のだれもが傍観者的態度をとれなくなるからです。


このような福祉観に立てば、役所以外に存在する福祉資源をいかに動員できるかは福祉政策の基本にもかかわる重要性をもっています。


もちろん、こうした民間資源の活用は福祉行政の経費を安くあげるためとか行政責任を民間(住民)に転嫁するためとか民間に行政の肩代りをさせるために行うのではないでしょう。


それは役所と住民が協働してしか創り上げることのできない新しい地域福祉社会の建設のためです。


もっぱら住民を受益者の立場におき、あるいは住民を一方的に楽にさせようとする自治体の行政は、一見してよさそうにみえます。


しかしその実、住民から自治の息吹(行政のあり方を批判できるとともに自らもできることを行うことで地域を担おうとする精神)を減衰させやすいのです。



      
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   <title>福祉資源地域における福祉</title>
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   <published>2011-05-28T06:46:50Z</published>
   <updated>2011-06-08T04:57:32Z</updated>
   
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      需要を把握し、その需要を満たしていく福祉サービスを供給するにしても、それを可能にするリソース(資源)が必要です。


むしろ福祉需要の発見と設定と同時に、役所を含め地域にどのような福祉資源が現にあるのか、あるいは潜在しているのかを把握しなければならないともいえるでしょう。


地域はどこでも自然とものと人によって構成され、それらの需要が結び付いてさまざまな出来事や活動が展開され、そこに歴史のなかで育まれてきた地域の文化が投影されています。


そうした地域の構成要素のどこにどれほどの福祉資源があるのかを見抜く必要があります。


ハンディキャップを背負った人に対して地域の文化(風土)がどれほど受容度が高いかあるいは冷淡なのかは、福祉資源として重要です。


しばしば福祉施設を迷惑がり、その建設の阻止要因として働くのは非寛容な地域文化です。


いうまでもなく、福祉資源といえば端的には、福祉サービスを展開していくために活用できる諸手段のことで、資金、技術、情報、人材、施設、器材などをあげうるのです。



      
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   <title>「福祉サービス」の難しさ　2</title>
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   <published>2011-04-28T06:45:58Z</published>
   <updated>2011-06-08T04:57:32Z</updated>
   
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      在宅福祉が望ましいといっても、支援システムが充実していなければ、その介護・介助に当たる家族にとっては、そこは「修羅場」となる可能性もあります。


市町村は在宅者にとって不利にもならず、しかもそこが「修羅場」にならない在宅福祉サービスのあり方を考案し推進していかなければならないでしょう。


そうでなければ「施設福祉から在宅福祉へ」という目標を掲げても、それは単なるお題目にすぎません。


福祉サービスを必要とする人びとをほんとうに人間として処遇することはできないのです。


なお、福祉サービスの供給システムという場合の「供給」ということばは、おそらく英語のディリヴァリーの訳語でしょうが、それは単にサービスを届けることではなく、必要な良質のサービスをタイミングよく適切なやり方で確実に提供することであると考えておきたいのです。


この意味での「供給」活動が成り立つためにも、上述したような的確な需要情報が不可欠なのです。


そして供給活動の内容と方式がその主体ごとに異なる点に注目すれば、行政による供給と民間による供給との異同についても事前に確認し、またそれを広く住民に知らせておく必要があるでしょう。



      
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